鹿鳴館サロン
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官能文学辞典

   その一. 序文
   その二. 「読まなかった」
   その三. 「解剖ごっこ」
   その四. 「覗いていたもの」
   その五. 「お馬さんごっこ」
   その六. 「小部屋」
   その七. 「映画の記憶」
   その八. 「記憶している性癖」
   その九. 「消えた雑居ビル」
   その十. 「卒業アルバム」
   その十一.「特別編」
   その十二.「祖父の家」
   その十三.「ラジオ放送」
   その十四.「路地」
   その十五.「記憶から消えた女の子」
   その十六.【未定】

 


映画の記憶

  定年を祝って女房と十数年ぶりになる旅行に出た。国内旅行だったが、仕事にもどらなくていいはじめての旅行は私をリラックスさせた。もう仕事のことが頭をかすめることもないのだ。 
「あれ、この見晴らし台は、あの映画で犯人が死体を投げ捨てたところだよね」 
  海を見下ろす断崖で私は女房に言った。 
「そんな映画、私は観てない。誰と行ったのかしら」 
  女房は皮肉を言ったが学生の頃より女にモテない私の不器用さを知っている女房ゆえに本気ではなかった。 
「君は忘れているんだよ。私はしっかり覚えているよ。崖の淵から、という芳川隆二の小説の映画化で、君は映画を観た後で、ずいぶんと恐がったんだ。だから二枚目は嫌いって君が言って、私が、それは私を好きなのは私が不細工だからという意味かなって言って君を困らせたんだ。懐かしいなあ」 
  映画は成績優秀でスポーツ万能、顔も育ちもいい青年がその華やかな生活の裏で、女性を監禁し殺していたという猟奇ものだった。私はその映画や小説に性的興奮を覚えていた。それを共感させたくて女房にも観せたのだ。 
「この先のレストランで男は最初の殺人を決意したんだ。行ってみよう」 
  私は気のすすまなそうな女房を無視して車に乗り込んだ。映画で観ただけなのに道はよく分かっていた。もっとも、山の道などほとんど一本道なのだから当たり前だ。 
  レストランはあった。しかし、店主はそこで映画やテレビの撮影が行われたことなどないと言った。さらに彼は、自分も映画好きだしミステリーものはとくに好きだったが、そんな題名の映画には記憶がないと言った。 
  何かの記憶違いなのだろうと旅行から帰った私はインターネットにていろいろと調べた。ところが、映画も、同名タイトルの小説も、そもそも芳川隆二なる小説家もいなかったのだ。 
  私は動揺した。映画や小説でないとすれば自分の中にある、あの生々しい記憶は何なのだろうか。監禁した女を陵辱する男。 
  あの記憶は映画などではなく、事実なのではないだろうか。そう思うと恐くなった。私は映画のことがどうしても気になり、定年の挨拶に郷里に墓参りして来ると言って、あの場所にもどった。 
  映画の主人公が死体を捨てた場所。死体を埋めた場所。女を監禁した別荘。全ての場所を記憶している。 
  ところが、死体を捨てた断崖と、あのレストラン以外は見つけることができなかった。そうした事件があったという話を見つけることもできなかった。 
  何かの記憶違いなのだろうと思い、あのレストランで食事をして帰ることにした私は、レストランで一人旅をしている若い女性と出会った。この女性を騙して、と、妄想したが、もちろん、私には彼女を誘拐したところで監禁する別荘も、そもそも、その勇気さえないのだった。





















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