鹿鳴館サロン
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官能文学辞典


   その1.                        
   その2.                        
   その3.                        
   その4.                        
   その5.                        
   その6.                        
   その7.                        
   その8.                        

 


その4.


 吊りが出来る桟を作らなかった。鹿鳴館サロンの話がサイト鹿鳴館のメンバーの間で出た当初から、吊りの出来る何かを作りたいという話は出ていた。
  そして、サロンをはじめてからも何度もこの話は出たし、今も言われている。
  吊りが出来ないということを理由にサロンに参加しなかったサイト鹿鳴館のメンバーもある。また、吊りが出来るようにしてくれと主張するSもMもやがてサロンには来なくなってしまう。特にS男性とM女性は来なくなってしまう。
  それでも、頑固に鹿鳴館はこれを拒絶したきた。
  別に吊りをすることに抵抗があるのではない。幸いなことに、今の鹿鳴館サロンにはこれを作れる能力のある人もいる。それでも、作らない。作りたくないのだ。
  鹿鳴館サロンはスケベ目的の集いに対するアンチテーゼとして作られた。しかし、集うのはSMマニアであれば吊りぐらい出来たほうが楽しい。分かっているのだ。実際、筆者もそうした行為が嫌いではない。
  ただ、もし、サロンにそうした設備があったとしたら、どうなのだろうか。
  せっかく来たのだからM女が吊られたところを見たい、せっかく来たのだから吊って欲しい、そんなことを思う人が増えないだろうか。
  結果として、せっかく小説の話を楽しんでいる人たちがあっても、すぐに女縛って吊ってになったりしないだろうか。吊りというのはインパクトがある。誰かが吊られれば、他の人はそれを眺めるというかたちになってしまう。
  寛ぎたい女性や考えたい女性があっても、男性たちは、すぐに吊らせてくれと口説いたりするのではないだろうか。自らの妄想について語りたいS男性がいても、吊られたいM女性が、早く縛ってとねだったりするのではないだろうか。
  結果として、SMが全てにおいて優先することになるのではないだろうか。
  確かに、それでもいいのかもしれない。朗読会だ、小説だ、読書感想会だと言ったところで、それが好きでサロンに来たと言ったところで、やっぱりスケベサロンを優先してしまうマニアの人たちは少なくない。そうした人たちを繋ぎ止めることにはなるのかもしれない。
  でも、嫌なのだ。
  小説や芸術が建前ではなく、本気だというバカなサロンがひとつぐらいあったっていいような気がする。もしかしたら、SMが建前で小説や芸術につ いて語ったり創作することが本音だったりする、そんなバカな集いがあったっていい。バカバカしいのは、いい年齢になって、本気で文学をしようとする人たち のほうだ。そんなものは建前で、結局のところ明るい男女交際と刺激あるスケベを目的として集まるほうが、よっぽどまともである。
  実際、小説を書くとか、小説が好きとか、朗読が好きと言ったって、吊りのできる別のところに行くようになってしまい、サロンにはすっかり来なくなるようなマニアの人たちは少なくないのだ。そのほうがきっとまともなのだ。
  分かっているのだ。そうしたほうがサロンの運営も楽になると。それでも逆をすること、そんなひねくれたところが鹿鳴館サロンらしいのだ。
  吊れないからという理由でサロンに来なくなる人たちは少なくない。それでもいい、サロンはそんなところなのだから。

  鹿鳴館サロンは「妄想はどんなプレイよりも刺激的なのだ」ということを証明したい人たちの集うところなのだから。

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